三春城
エリア:北海道・東北
住所:963-7759 福島県田村郡三春町大町
三春城(みはるじょう)は、陸奥国田村郡、現在の福島県田村郡三春町にあった日本の城。三春町指定史跡です。別名舞鶴城。三春藩の藩庁でした。永正元年(1504年)、田村郡全域を支配していた豪族である田村義顕が築城したと伝えられ、以降戦国時代は田村氏、江戸時代は松下氏等の居城となります。正保二年(1645年)、秋田俊季が五万五千石で入城し、明治初年の廃城に至ります。 VRでは近世、秋田氏の時代にあった城を再現しております。
史跡・周辺情報
三春町歴史民俗資料館 自由民権記念館
歴史民俗資料館は、古文書や考古・民俗資料等の三春の歴史や文化に関する資料の収集・調査、保管、公開を目的として昭和58年開館しました。 歴史民俗資料館には、2階に常設展示室、企画展示室があります。昔の商家の店先や農家いろりばたを復元しており、少し昔の人々の暮らしの様子を垣間見ることができます。ガラス張りの無い空間は、タイムスリップしたかのようです。また、企画展を年数回開催するほか、休憩室では三春町の紹介ビデオがご覧になれます。 なお、1階には明治時代の自由民権運動を顕彰する自由民権記念館が併設されています。
三春郷土人形館
三春郷土人形館は、昭和初期に郷土玩具を収集したコレクションを展示する施設として、平成2年に開館しました。歴史民俗資料館より歩いて5分ほどのところにあります。 土蔵2棟を利用した館内には、三春張子人形や三春駒をはじめ、東北地方の土人形やこけしを展示しています。蔵そのものも築100年以上の古い建物で、特に座敷蔵を利用した1号館には階段箪笥があるほか、元三春藩士で画家の中村寛亭の画と、祐筆の依田氏による「飲中八仙歌」の書で両面を仕立てた襖は見ごたえがあります。
田村大元神社
元来は大元帥明王社といい、田村庄総鎮守として守山(現在の郡山市田村町)にありましたが、永正元年(1504)に田村氏が三春に入城したことに伴い、三春へ遷りました。明治以降は、新町地区の鎮守となり、「ミョウオウサマ」と呼ばれています。 永仁3年(1295)に奉納された「銅製松喰鶴鏡」は国の重要美術品(非公開)。拝殿左の熊野神社、右の八幡神社は江戸時代中期の再建で、伊東光運作の金剛力士像一対を納める表門は慶応3年(1867)の再建です。 7月の第3土日(海の日の前)に行われる夏祭りでは、長獅子が神輿渡御の先ばらいとし町内を巡り、氏子の頭をかんで健康を祈ります。夜になり、境内に戻ると長獅子のほか三匹獅子舞も行われます。 祭神:国常立命
三春大神宮
元禄2年(1689)に3代藩主秋田輝季が貝山岩田より神明宮として現在の神垣山に遷し、明治になると三春大神宮と改めましたが、地元では「シンメサマ」と呼ばれています。 秋田家重臣たちが奉納した絵馬が多数あるほか、境内には2代目徳田研山の監修により伊東光運が作成した白馬像があります。 また、町指定天然記念物のモミをはじめ、23本の木々が「三春大神宮の森」として福島県緑の文化財に登録されています。 10月には秋祭りが行われ、旧三春町内を神輿が渡御し、長獅子や各地区の山車、神輿がにぎやかに練り歩きます。 祭神:天照皇大御神、豊宇気毘売大神
守城稲荷
守城稲荷は、三春町役場の斜め向かいの城山の麓に鎮座する神社です。 詳しい由緒は明らかではありませんが、三春藩主秋田家が信仰したとされ、当初三春城内の花畑(三春小学校校舎の辺り)にあったのを、現在に移したとされています。 江戸時代末期の三春城下を描いた資料では、すでに現在地に描かれています。 祭神:宇賀御魂神
愛宕神社
慶長18年(1613)に蒲生氏の城代蒲生郷治により京都嵯峨愛宕山から勧請されたと伝えられ、「アタゴサマ」と呼ばれる神社。 中町地区の鎮守で、火伏せの神として信仰されています。 拝殿は江戸時代後期の建設、本殿は三春尋常小学校の奉安殿を移築したものです。 境内のケヤキ、イヌシデの古木が町の天然記念物に指定されています。 祭神:火之加具土命
王子神社
紫雲寺の隣にある王子神社は大町地区の鎮守で、あわせて多賀神社・水天宮を祀ります。地元では「オッシャマ」と呼ばれています。 北野神社同様に、もともとは城山にあり、その後、現在地に移されたと伝えられています。 磐州通りから登る参道は、四季折々の風情が楽しめる場所です。 祭神:王子大権現
北野神社
北野神社は、もともとは城山北西の中腹にありました。このため、その近くの橋を天神橋と呼び、現在でも天神橋と呼ばれる地区があります。そして、秋田家が三春藩主になった後に現在地へ移されました。天満宮や天神社などと呼ばれましたが、明治12(1879)年に北野神社となりました。 境内には、慶応元年(1865)年に近江の商人が奉納した大きな「なで牛」があり、訪れる人を出迎えています。 祭神:菅原道真
八幡神社
戦国時代に京都石清水八幡宮から勧請された八幡町地区の鎮守で、「ハチマンサマ」と呼ばれます。 江戸時代の絵馬や、丈六焼の狛犬などが社殿内に奉納され、拝殿の前には寛文7年(1667)に下総結城(現在の茨城県結城市)の生糸商人が奉納した石灯籠があります。 4月の第3日曜日の祭礼には、勇壮な長獅子が桜で彩られた町内を巡ります。 祭神:品陀別命
八雲神社
荒町地区の鎮守で、地元では「きゅうり天王」と呼ばれています。 戦国時代に京都祇園から牛頭天王を勧請した神社と伝えらえています。 7月26日の祭礼では、疫病を追い払うと言われるきゅうり2本を献じ、1本をいただいて帰る風習があります。また、、長獅子が町内を練り歩き、勇壮な舞を見ることができます。 祭神:素戔嗚尊
真照寺
真言宗の寺院で、寛喜3年(1231年)に津軽十三奏(現在の青森県五所川原市)に創建されたと伝えられています。 江戸時代の三春藩主秋田家の祈願所で、平安時代末期から南北朝時代の仏教典籍を所蔵します。また、2代藩主秋田盛季が旧領から三春へこの寺を移しました。その際に、藩主が数多くの優れた仏像・仏画を奉納しました。 本堂脇の古四王堂は正徳2年(1712)に3代藩主秋田輝季によって再建されたもので、その裏に群生する水芭蕉が春を彩ります。
州傳寺
江戸時代初期の三春藩主松下家の菩提寺で、江戸時代には幕府から朱印状を与えられた曹洞宗の寺院です。 本尊阿弥陀如来坐像は、丈六さまと呼ばれています。丈六とは、仏像の標準的な高さ、一丈六尺(約5m)の略です。坐像の場合でも、立てば一丈六尺になるとして、このように呼ばれています。 本堂の左手を登っていくと、松下氏3代のお墓があり、左から豊綱・重綱・長綱のお墓となっています。 境内の地蔵堂は、地蔵盆の盆踊りにたくさんの人が集まり、一時賑わうことから一時地蔵と呼ばれました。
天澤寺
嘉吉3(1443)年の開山と伝わる曹洞宗の寺院です。 本尊は木造釈迦牟尼仏で、境内には「身代地蔵堂」や「三十三観音石像」があります。地蔵菩薩には、安寿と厨子王の伝説が伝えられています。本堂や地蔵堂に施されている彫刻は、華麗で見ごたえがあります。 天沢寺裏手の墓地には、江戸時代中頃の兵学者、杉山治左衛門と、幕末から明治期に活躍した漢学者、熊田嘉膳の墓があります。
紫雲寺
天正15年(1587)に開かれた浄土宗の寺院です。 本尊の木造阿弥陀如来立像、脇侍の観音菩薩・勢至菩薩立像のほかに、冥界の王たちを表した十王の図像があります。 境内には、自由民権運動家として有名な河野広中の遺髪を納めた瘞髪冢(えいはつちょう)や、江戸時代のお家騒動伝説にかかわる「腹切り梅」、戊辰戦争における政府軍戦死者の墓があります。
馬頭観音(華正院)
延暦17年(798年)、坂上田村麻呂の創建と伝えられています。馬産にたずさわる人々の信仰を集め、堂内には仔馬の成長を祈願した、たくさんの絵馬が奉納されています。 参道の石段がすり減っているのは、馬を連れた多くの人々が多く訪れたためで、往時の賑わいを伝えています。
龍穏院
秋田俊季の三春入部に伴って常陸宍戸(現在の茨城県笠間市)から移された秋田家の菩提寺で、曹洞宗の寺院です。「龍穏院」は俊季の祖父・愛季(ちかすえ)の法号です。 本堂は14間に7間半の総欅造りの豪壮な建築で、戊辰戦争では傷病兵の病院として、明治時代には自由民権運動の演説会場にもなりました。 また、本堂裏には秋田家尊霊塔や8代藩主秋田長季の墓所があるほか、徳田研山、中村寛亭など三春を代表する文化人のお墓もあります。
光善寺
慶長8年(1603)に会津若松の浄光寺より分かれて三春に創建され浄土真宗の寺院です。本尊は阿弥陀如来です。 浄土真宗の教に、「阿弥陀仏の本願を信じ念仏を申せば、この愚かな身が救われて仏に成る」という教えがあります。 親鸞上人は、人間凡夫の実態を深く見つめられ、本願念仏でしか私達凡夫はどん底から救われないという事を説いているそうです。 本堂内には白河藩御用絵師・蒲生羅漢(がもうらかん)作の天人の欄間絵があります。
高乾院
鎌倉時代中ごろの創建とされ、仏源禅師の開山と伝わる臨済宗の寺院です。 秋田俊季の三春入封にしたがい現在地に移りました。寺名は俊季の父・実季(さねすえ)の法名に由来しています。 本堂向って左側の高台に秋田家墓所があり、歴代の藩主やその家族が祀られています。 また、本尊木造釈迦如来座像をはじめ、数多くの指定文化財が伝えられています。
法蔵寺
鎌倉時代に遊行二祖の他阿弥陀佛真教上人が、地域に念仏信仰を弘める拠点として、念佛道場を設けたのが始まりとされる時宗の寺院です。 江戸時代後期、天明5年の大火で類焼したため再建しましたが、22年後の文化4年に再び火災で全焼したため、その後約200年間仮本堂のままでしたが、ようやく平成に至って本堂が再興されました。三春城下では最もで古く開かれた古刹です。 境内には、約100種の蓮の花をはじめ、赤松の古木や紅枝垂れ桜、ツツジ、アジサイ、サルスベリ等が咲き競い、四季を通して花を楽しめる寺。 特に夏は、鉢植えの蓮が境内のいたるところで花開き、圧巻です。 7月末に行われる観蓮会では、野点お茶会、象鼻杯等蓮の文化を楽しめます。
福聚寺
戦国時代の三春城主田村家の菩提寺で、臨済宗の寺院です。 田村氏の三春移城に伴い、八丁目(現在の郡山市日和田)から現在地へ移転したといわれます。中世には、権力に抗する人などが駆け入り、保護を願い出ることができる寺院があり、福聚寺もそうした寺院のひとつで、所在地の御免町は「寺入り御免」に由来していると伝えられています。 県指定の重要文化財「田村氏掟書」のほか、雪村筆「達磨図」や木造十一面観音像、田村氏三代の墓所など数多くの文化財があります。
法華寺
慶長18年(1613)、三春が会津蒲生領の一部だった時代に開山された、三春唯一の日蓮宗の寺院です。 本堂内陣の天井には、2代目徳田研山により竜が描かれていますが、日光東照宮の鳴き竜と同じように、手を叩いた反響が竜の鳴き声のように聞こえると言います。今にも動き出しそうな生き生きとした竜の姿には、一見の価値があります。
光岩寺
江戸時代初期に三春城主松下長綱が、母・星覚院の菩提寺として創建した浄土宗の寺院です。 本尊の木造阿弥陀如来立像は、ヒノキ製の寄木造り、鎌倉時代に九州で作られたもので、県指定重要文化財(国重要美術品)です。天明5年(1785)の大火で本堂が焼失し、現在も仮堂のままです。
藩講所表門(明徳門)
18世紀後半に7代藩主秋田倩季により、藩士子弟の教育を目的に設立された藩講所の表門です。倩季の筆による講堂・明徳堂の扁額を掲げていることから明徳門とも呼ばれています。 元々は現在の町役場の場所にありましたが、戦後、三春城の追手門があった現在地に移され、三春小学校の校門として親しまれています。
愛姫生誕の地記念碑
愛姫(めごひめ)は、戦国大名田村清顕(きよあき)の娘として、三春城内で生まれました。 現在、お城坂を上り、左手に進んだところにある小公園に「愛姫生誕の地」という記念碑があります。 天正7(1579)年、愛姫は、わずか11歳で伊達政宗と結婚し、三春を離れました。これ以後、愛姫が三春を訪れることはなく、承応2(1653)年、86年の生涯を江戸で終えました。 愛姫のお墓は、宮城県松島町の瑞巌寺隣の陽徳院という寺院にあります。
三春滝桜
樹齢は1000年以上といわれ、開花期には四方に伸びた枝から、薄紅色の小さな花を無数に咲かせ、その様はまさに流れ落ちる滝のように見えることから「滝桜」と呼ばれるようになったとも言われています。 高さ13.5m、根回り11.3m、枝張りは幹から北へ5.5m、東へ11.0m、南へ14.5m、西へ14.0m
三春きたまち蔵「TENJIN」
三春町中北町地区に残されていた2棟の蔵をリフォームし、そのうちの1棟を三春町の観光情報発信拠点として運営しているのが、三春きたまち蔵「TENJIN」です。
三春なかまち蔵「花かご」
三春町中町地区に残されていた3棟の蔵をリフォームし、そのうちの1棟を観案内所・お土産物販売店として営業しているのが「花かご」です。三春のお土産のほか、朝採りの新鮮野菜の朝市などが行われます。 残りの2棟には、カフェがテナントとして入っています。