大友館
エリア:九州・沖縄
住所:大分市顕徳町
戦国大名の居館として屈指の規模をほこる大友氏の館です。国際貿易都市 豊後府内の中心に築かれました。
館は10代当主大友親世(ちかよ)の頃に築かれ、その後、幾多の改修をへて天正元年(1573)頃 21代当主であった大友宗麟が 22代当主義統に家督を譲るにあたり、東西 200m、南北 200mの最大規模の館として再整備されました。
この整備にともなって館南東部にあった庭園は巨大な池を伴う庭園へと改修された他、当時「大おもて」と呼ばれていた、政治や儀式を行う中心建物も建て替えられます。
このような大規模な改修が可能であった背景には、宗麟、義統親子が、南蛮貿易により巨万の富を築き、北部九州 6カ国の守護を補任され、鎌倉時代以来の名門大友家 400年の歴史の中でも最盛期を築いたことによります。
南蛮貿易の契機となったのは、天文20年(1551)大友宗麟とザビエルがキリスト教の布教とポルトガル船の来航の約束を交わした大友館での会見であり、この地はその舞台でもありました。
威容を誇った大友館でしたが、天正 14年(1586)九州制覇を目指す島津氏の府内侵攻により府内のまちとともに灰燼に帰します。以後、大友館は再建されず、江戸時代から現代にいたるまで耕作地、水田、宅地として利用されました。大友氏館跡としてその存在が再び明らかになったのは1998年になってからです。
大分市では、1530年に生まれた宗麟の生誕 500年にあたる 2030年の完成を目標に現在、大友氏館跡の整備を進めています。大友氏の威信を示すシンボルであった大友館が今まさによみがえろうとしています。
史跡・周辺情報
南蛮BVNGO交流館
南蛮BVNGO(ぶんご)交流館は、”宗麟の生きた時代を体感できる施設”をコンセプトに、大友氏遺跡や大友宗麟公の功績について、工夫を凝らした展示や迫力ある映像等で紹介する施設です。
館内は「交流ゾーン」「歴史ゾーン」「シアターゾーン」「茶の湯ゾーン」「庭園デッキ」に分かれています。映像を見て大友宗麟や大友氏遺跡を学んだり、戦国時代をイメージした衣装を着て写真を撮るなどの体験をすることができます。
電話 | 097-578-9191 |
料金 | 無料 |
開館時間 | 午前 9時~午後 5時(入館は午後 4時 30分まで) |
休み | 毎週月曜日(ただし、祝日の場合は開館。また、第 1月曜日は開館し、翌火曜日が休館) 祝日の翌日(ただし、土・日曜日の場合は開館) 年末年始(12月 28日 ~ 1月 4日) |
駐車場 | 有り |
URL | http://www.city.oita.oita.jp/o204/bunkasports/rekishi/koryukan/top.html |
メモ | 多目的トイレ・授乳室完備 団体でお越しの方は、事前にご連絡ください |
上原館跡
豊後の守護大友氏の居館跡で、国指定史跡大友氏遺跡の一つです。大規模な土塁や空堀で囲まれ、高い防御性を備えています。
館の敷地は東西 130m、南北 156mの長方形で、この北西部に東西 30m、南北 40mの張り出し部が造られています。 現状で幅約 17m、高さ 4mを超える土塁と堀跡の一部が良好に残されており、当時の面影を今に伝えています。
戦国時代には豊後府内のほぼ中央にある大友館と併存し、高崎山山頂にあった「高崎城」とともに、大友氏の軍事的役割を担う施設として機能しました。
標高 20mほどの上野台地上にあり、南蛮BVNGO交流館から市道六坊新中島線を大分県立芸術文化短期大学をめざして南に進んだ徒歩 10分ほどの位置にあります。
万寿寺
臨済宗妙心寺派の寺院で、本尊は釈迦三尊像です。
徳治元年(1306)大友氏5代当主貞親〔さだちか〕が博多(福岡市)の承天寺の僧直翁智侃(じきおうちかん)禅師を開山に請じて諸堂を建立しました。これが開基とされ、当時禅寺五山十刹(ござんじっさつ)の一つに数えられた禅宗寺院です。
現在、大友氏遺跡 旧万寿寺地区として当時の寺域は国指定史跡に指定されています。天正 14年(1586)、島津氏の兵火に焼かれ、一時廃寺となっていましたが、江戸時代初期の寛永 10年(1633)に僧丹山が、府内城主竹中重義の援助を受けて現在地に再興しました。
広々とした境内には本堂・庫裡・仏殿・禅堂・経蔵・観音堂・山門などが立ち並んでいます。
※修行期間中など、ご見学をご遠慮いただく場合があります。
円寿寺
11世紀の古文書に「石屋寺」と記載され、かつては大分市の古国府にありました。
大友氏6代当主貞宗(さだむね)が現在地に移し、名を「円寿寺」と改めたとされています。
江戸時代には、当時の住職・寛佐法印(かんさほういん)と交流があった、徳川家康の孫・松平一伯(いっぱく)(元越前藩主松平忠直(ただなお))が幾度も訪れるなど、要人と親交がありました。境内には、井路開発に尽力した府内藩主の日根野吉明(ひねのよしあきら)公霊廟があり、釘を一本も使用していないことでも知られています。
標高 20mほどの上野台地上にあり、南蛮BVNGO交流館から市道六坊新中島線を南に進んだ徒歩 15分ほどの位置にあります。
※御朱印をご希望の方は事前にご連絡ください。
駐車場 | 有り |
URL | http://enjuji.com/index.php |
弥栄神社
かつては府内祇園社と呼ばれ、豊後の岩屋寺に鎮座したのが始まりと言われていますが、創建年については諸説あります。建久年中説(1190 ~ 98)によると、建久の頃,豊後国内に疫病が流行り死者が多数出たので。大友氏初代当主能直(よしなお)が京より祇園社の祭神である牛頭天王を勧請して社を創建し、神領を寄付したといわれています。これらは近世の編纂物が伝える創建説です。古文書等からは、府内祇園社は大友氏20代当主義鑑によって、大永元年(1520)頃創建したのではないかと考えられています。当初の創建地は、いずれの説も大字大分龍ヶ鼻(たつがはな)と大字古国府字龍ケ鼻の一帯(岩屋寺石仏の東側,現在の高良社(こうらしゃ)の南側)に比定されています。戦国末期に兵火で焼失した祇園社は,江戸時代の元和 4年(1618),時の府内藩主竹中重義によって現在地に再建されました。
駐車場 | 有り |
来迎寺
文忠梵滎(ぶんちゅうぼんえい)上人を開祖として、大友氏18代当主親治(ちかはる)によって文亀元年(1501)に建立された浄土宗の寺院です。
戦国時代の府内のまちを描いた「府内古図」にも記された寺院で、以後 500年以上この地にあります。江戸時代の記録には、寺は広大で美しく、障壁画で飾られた書院があったと記されています。
駐車場 | 有り |
大友宗麟公像・ザビエル像
JR大分駅府内中央口広場に立つ大友宗麟の銅像です。
天正 10年(1582)に出発した天正遣欧使節の派遣400年を記念し、昭和 57年(1982)に建てられました。彫刻家 富永直樹氏による作で大友宗麟の威容を現在に伝えています。
2015年の大分駅リニューアルに伴い、大友宗麟公像の向かいには聖フランシスコ・ザビエル像が建てられました。彫刻家雨宮透氏による作で、大友宗麟とザビエルの出会いの場面をあらわしています。
駐車場 | 有り |
遊歩公園
戦後、市の復興計画の一環として、昭和 26年に整備された長さ約 400m、幅約 10mの南北に長い公園です。
著名な彫刻家による南蛮文化の薫る彫刻や記念碑が建てられています。
聖フランシスコ・ザビエル像、西洋音楽発祥記念像、伊東ドン・マンショ像、西洋医術発祥記念碑、西洋劇発祥記念碑などをみることができます。
若宮八幡社
豊後の守護大友氏の初代能直(よしなお)が、源氏の氏神である鎌倉(神奈川県)の鶴岡八幡宮から分霊したと伝えられています。大友氏と江戸時代の府内藩主の保護を受けました。戦国時代の府内のまちを描いた「府内古図」には大きな道路にそった場所に「若宮」の名称をみることができます。
江戸時代には 3月 3日に藩主の娘が櫛を 33枚奉納したことにちなんだ祭りである御櫛形祭礼(おくしがたさいれい)が盛大に行われ、街路沿いには燈籠が並び、大神楽や能が行われていました。
南蛮BVNGO交流館から、市道六坊新中島線を南に進んだ徒歩 5分ほどの位置にあります。
大臣塚古墳
5世紀中頃に造られた全長約 50mの前方後円墳で、直径約 35mの後円部が現在も良好に残されています。
古墳の上にある石碑は寛永12年(1635)に建立された国内最古の文化財保存記録といわれるものです。碑文には江戸時代の寛永 14年(1634)の 7月、台風により倒れた大臣塚(大臣塚古墳)の松3本の植え替え中に、石棺とともに人骨・太刀・甲胃が現れたため、府内藩主の日根野吉明(ひねのよしあきら)が復旧と埋戻しを命じ、その経緯が記されています。
駐車場 | 無し |
国指定史跡大分元町石仏
大分元町石仏は、阿蘇溶結凝灰岩(あそようけつぎょうかいがん)の岩面に刻まれた磨崖仏で、1934年に国指定史跡となリ、国宝臼杵石仏と並ぶ大分県を代表する石仏です。
建物内には薬師如来坐像を本尊とする仏像群が安置され、定朝様(じょうちょうよう)の見事な作風を見ることができます。
11世紀後半頃の制作と推定されており、特に薬師如来坐像は、木彫の仏像を彷彿とさせる造リで、量感のある体躯、童顔を思わせる端正で穏やかな顔立ちなど、すぐれた彫刻の技を見ることができます。
駐車場 | 有り |
岩屋寺石仏
17体の磨崖仏からなる仏像群で、中央に薬師如来、その左に釈迦如来坐像、右に阿弥陀如来像が配され、過去・現在・未来の「三世」を表そうとしたものと考えられています。
仏像群に向かって右端にある十一面観音菩薩立像は、一部欠損している部分がありますが、すらりとした八頭身に近い姿をしており、岩屋寺石仏の中では、美しい彩色を残すなど、その姿をよく留めています。
大きな眉や切れ長の目、鼻にかけての顔立ちから見て、12世紀頃(平安時代末期)の作と考えられており、県指定史跡となっています。
駐車場 | 有り |
府内城跡
福原直高により築城が始まり、慶長 7年(1602)、竹中重利によって四層の天守を含む全容が完成しました。寛保 3年(1743)の大火で天守をはじめ多くの施設が焼失し、その後は天守は再建されませんでした。
現在は、堀、石垣、土塀、天守台、櫓 2棟が残っており、県指定史跡となっています。平成 9年には廊下橋が復元されています。日本 100名城の一つに認定されています。
駐車場 | 有り |
高崎城跡
高崎城のある高崎山は、現在はニホンザルの自然動物園で有名ですが、戦国時代の頃は、標高 628mの山頂にお城が築かれていました。これが高崎城で、初めて文献史料に登場するのは14世紀、大友氏第8代当主氏時(うじとき)の頃です。その後、大友氏の詰め城として、戦国時代末期まで使用されました。
文献史料に登場する高崎城での戦いは少ないですが、部分的な発掘調査や、現在でも確認できる曲輪や堀などの施設の状況からすると、大友氏によって継続的に維持・管理された重要なお城であったことがわかっています。山頂までは、高崎山城に関するさまざまな説明看板を設置しています。
なお、高崎山城までのルートは大分市森林セラピーロードとして認定されており、登山アクセスについては下記のページに記載されています。
駐車場 | 有り |
URL | https://www.oita-foresttherapy.jp/roads/detail/2 |
デウス堂跡(推定地)
デウス堂は府内教会ともいわれ、天文 22年(1553)に大友氏 21代宗麟の許可を得たことで建てられました。弘治 2年(1556)には信者の増加と施設拡充のために隣接地を買受けた他、宗麟から屋敷数軒が寄進され、新礼拝堂を“上の地所”に建設しました。この教会施設では,ビオラ・ダルコ、リュート、クラヴォ、ラベックといった西洋楽器が演奏され、府内の日本人信者の子弟等も一緒に合奏しました。また、ミゼレレ等の讃美歌を合唱した他,クリスマス等には聖書を題材とした西洋演劇が演じられたことが宣教師の記録に記されています。「デウス堂跡」の碑は、戦国時代の府内のまちを描いた「府内古図」に記された「ダイウス堂」(デウス堂のこと)の位置に相当する顕徳町 2丁目に昭和 53年に建立されたものです。
南蛮BVNGO交流館より北西方向に徒歩 5分ほどの位置にあります。
駐車場 | 無し |
金剛宝戒寺
奈良時代の僧侶・行基が神亀 4年(727)、聖武天皇の命により創建し、かつては大分市古国府にあったとの言い伝えがあり、徳治 2年(1307)、大友氏6代当主貞宗(さだむね)が現在地に移したとされています。境内には慶派仏師の作で国指定重要文化財である木造大日如来坐像が安置されている大日堂をはじめ、府内藩主日根野吉明が再建した山門などがあります。
※大日如来坐像を拝観される場合は、事前にご連絡ください。
電話 | 097-544-3804 |
駐車場 | 有り |
URL | http://www.houkaiji.jp/ |
柞原八幡宮
柞原八幡宮は、天長 4年(827)、延暦寺の僧であった金亀和尚が宇佐八幡宮で 1,000日間の参籠をはじめ、同 7年(830)に神告を得たことを契機として八幡神をここに勧請することに決めたと伝えられます。その後、天皇の命で承和 3年(836)に社殿が造営され、平安時代末期には豊後国一宮となりました。中世には豊後の守護であり、戦国大名になった大友氏の崇敬を集め、近世になると歴代の府内藩主によって手厚く保護されてきました。
社殿は、江戸時代中期の寛延 2年(1749)大火による焼失以降に再建されたものですが、江戸時代から明治時代はじめにかけて伝統的技術によって建てられた建造物群がよく保存されています。本殿は全国的に類例の少ない八幡造で嘉永 3年(1850)に再建されたものです。社殿の構成は、楼門や申殿を軸線上に並べるなど、宇佐神宮を範とした独特の構成をとっています。また、本殿は縁に脇社を設け、楼門は下層に軒唐破風付の庇を付すなど特異な形式をもつ社殿によって構成されており、顕著な地方的特色を示していることから、本殿ほか 9棟および附 2棟の計 12棟の建造物が重要文化財に指定されています。
※現在、本殿の修復工事を行っております。詳細はホームページをご覧ください。
電話 | 097-534-0065 |
開館時間 | 参拝随時 ※お守り授与や祈願などは 8:30~16:30 |
駐車場 | 300台 無料 |
URL | http://oita-yusuhara.com/top.html |
大分県立埋蔵文化財センター
埋蔵文化財の調査、整理、保管、公開などの業務を行う施設です。
館内には華やかな大友氏の時代を感じる国内外の様々な遺物を展示する「BVNGO大友資料館」と旧石器時代から江戸時代まで、貴重な遺物を展示した「豊の国考古館」の二つの常設展示室があります。「BVNGO大友資料館」では中世大友府内町跡などから出土した煌めくような豊富な品々を一望できる展示となっています。
また、歴史体験学習館では火起こしや勾玉・土器作り、鋳造体験などを通して古代人の知恵や技術を学ぶことができます。
電話 | 097-552-0077 |
料金 | 無料 |
開館時間 | 午前 9時~午後 5時(入館は午後 4時 30分まで) |
休み | 月曜日(月曜日が休日にあたる場合は、翌平日を休館とする) 年末年始(12月 28日 ~ 1月 4日) |
駐車場 | 有り |
URL | https://www.pref.oita.jp/site/maizobunka/ |
大分市歴史資料館
大分市歴史資料館は広く市民の郷土の歴史を学ぶ場、情報提供の場をめざして、さまざまな活動を行っています。
市内を中心とした先史から近世までの通史展示と近代のくらしと道具、農機具などの常設展示、館所蔵の資料を中心とした「テーマ展示」、大分の歴史に関係する資料を全国から集めて、展示を行う「特別展」を年に 1回開催しています。
また、歴史をより身近に親しんでもうらために、「ふるさとの歴史再発見講座」や「歴史体験講座」などを実施しています。
館は、天平 13年(741)、国の安泰を願う聖武天皇の発願により建立された、国指定史跡豊後国分寺跡・豊後国分寺跡歴史公園に隣接しています。60mを超える高さをもち、全国屈指の規模を誇った七重塔や、金堂などの礎石が残り、かつて荘厳な建物が立ちならんでいたことがわかります。現在は約 3万 2,000㎡が史跡公園として整備されています。
電話 | 097-549-0880 |
料金 | 大人 200円 (団体)150円 高校生 100円 (団体)100円 中学生以下は無料 ※団体は20人以上 ※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保険福祉手帳の交付を受けている人とその介護者は無料です。入館時に受付で手帳を提示してください。 |
開館時間 | 午前 9時~午後 5時(入館は午後 4時 30分まで) |
休み | 毎週月曜日(ただし、祝日の場合は開館。また、第1月曜日は開館し、翌火曜日が休館) 祝日の翌日(ただし、土・日曜日の場合は開館) 年末年始(12月 28日 ~ 1月 4日) |
駐車場 | 有り |
URL | http://www.city.oita.oita.jp/bunkasports/rekishi/shiryokan/index.html |
メモ | 多目的トイレ・授乳室完備 団体でお越しの方は、事前にご連絡ください 施設は国指定史跡豊後国分寺跡・豊後国分寺跡歴史公園のガイダンス施設の機能を兼ねています。 |
海部古墳資料館
5世紀初めに造られた、県下最大規模となる全長 116mの前方後円墳である国指定史跡亀塚古墳と一体化したガイダンス施設です。大分市内を中心とした古墳文化を広く案内しています。広く古墳文化を紹介しています。
館内は大きく 7つのゾーンで構成され、家形石棺などの実物資料や鉄器などの複製品の他、古墳造りや海部のムラの生活を再現した九州最大級のジオラマ、市内の古墳の復元模型を展示しています。
電話 | 097-524-2300 |
料金 | 無料 |
開館時間 | 午前 9時~午後 5時(入館は午後 4時 30分まで) |
休み | 毎週月曜日(ただし、祝日の場合は開館。また、第1月曜日は開館し、翌火曜日が休館) 祝日の翌日(ただし、土・日曜日の場合は開館) 年末年始(12月 28日 ~ 1月 4日) |
駐車場 | 有り |
URL | http://www.city.oita.oita.jp/o204/bunkasports/rekishi/1014947779619.html |