まつえじょう 松江城

松江城

エリア:中国・四国

住所:690-0887 島根県松江市殿町1-5

松江城は、標高29mの亀田山にある平山城です。東西約400m、南北700mの敷地をもち、四重五階の現存天守は国宝にも指定されています。

松江城と松江城下は、堀尾吉晴と堀尾家臣団によって、五年をかけて計画的に建設されて誕生しました。松江城築城を推し進めた堀尾吉晴は、その多くの功績により「松江開府の祖」と呼ばれています。

かつて松江は一面の湿地帯が広がっており、堀尾吉晴は、排水のために堀を設けました。さらに、亀田山の北側と尾根で繋がっていた赤山の間を掘り崩して外堀と内堀を兼ねる大きな堀と道路、侍屋敷を造り、湿地帯も埋め立て、城下町を造成しました。松江城下に張り巡らされた堀は、城郭の堀の本来の防衛機能だけではなく、水運や排水の機能も持っていました。

「堀尾期松江城下町絵図」は1630年頃に作られた城下絵図ですが、現在の松江城・城下町におおよそ一致します。堀や道路など、江戸の造成時の面影を残す場所が数多く残っているのが、風情ある水の都松江の特徴です。

古地図とVRをご覧いただきながら、水の都松江の城下町散策をお楽しみください。

堀尾吉晴 堀尾吉晴は、1543年、尾張の国に生まれ、織田信長、豊臣秀吉や徳川家康に仕えました。吉晴とその子忠氏は関ケ原の合戦で家康側に付き、その戦功の恩賞として出雲・隠岐両国二四万石を拝領しました。出雲に入国した吉晴・忠氏父子は、従来の出雲の政治的・軍事的中心であった月山富田城(現在の安来市にある山城)にいったん入城します。しかし、物資輸送が陸上輸送のみであることと、城下町が広く取れないことや鉄砲に対する防御が弱いといった理由から、吉晴は新たな拠点づくりを模索しました。まずは城地とするにあたり、海上輸送もあり物流に便利な場所であること、城下が広く取れることから、松江の地を選びました。築城場所として目を付けた場所は、父吉晴は荒隈山、息子忠氏は亀田山(現在の松江城の地)でした。しかし、二人の意見は分かれたまま、忠氏は28歳の若さで亡くなってしまいます。吉晴は亡き息子の意思を継ぎ、忠氏が推した亀田山を築城拠点として、城と城下町の建設を推し進めていきました。
松江城

史跡・周辺情報

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