集成館 第一期
エリア:九州・沖縄
住所:〒892-0871 鹿児島県鹿児島市吉野町9698-1
1851(嘉永4)年,第11代薩摩藩主となった島津斉彬(しまづなりあきら)は,東に桜島を見渡す錦江湾沿いにある島津家別邸の仙巖園(せんがんえん)周辺の竹林を切り開き,製鉄、大砲製造、造船、紡績、薩摩切子などの工場群を築き,「集成館」と名付けました。当時,薩摩藩は琉球(今の沖縄県)までを領内に含んでおり,日本の南側の窓口に位置していたことから,南から北上するイギリスやフランスの軍艦が開国を求めて来航し,緊張が高まっていました。斉彬は植民地となることを防ぐため,日本を強く豊かにする必要があると考えたのです。
1858(安政5)年の斉彬の死後,集成館事業は大幅に縮小されましたが,1863(文久3)年の薩英戦争をきっかけに改めて近代化の必要性が見直され,島津久光(ひさみつ)・忠義(ただよし)父子により集成館事業は再興されました。久光らによる事業では,イギリスやオランダから最新の機械を輸入し,蒸気機関を動力として機械工場や紡績工場を稼働し,1877(明治10)年の西南戦争により大きな打撃を受けるまでの間,集成館は日本でも最先端の工業地帯として,日本の近代化を支えました。
2015(平成27)年,集成館事業が行われた一帯は,「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の1つとして,世界文化遺産に登録されました。
史跡・周辺情報
仙巌園
鶴嶺(つるがね)神社
猫神
薩摩切子工場
尚古集成館 本館
錫門
御殿
SHARE