東山道と周辺の古代史跡
エリア:関東・甲信
住所:栃木県下野市
古墳時代における地方豪族の権限を払拭し、国内統一を図るため、大宝元( 701)年に大宝律令が制定されました。この国家体制のもと、地方を分割統治するため全国を畿内(五畿)と七道に分け、さらにこの行政区を 60余国に区分し、その国内を郡(評)-里(郷)に細分しました。
さらに地方行政の徹底を図るため、都(平城京・平安京など)と各地の統治機関を結ぶ道路網(駅伝制・官道)を整備し、国ごとに国府、郡ごとに郡家(郡衙)などを設置しました。また、庶民の戸籍を作成し課税(租・調・庸)を徴収し、郡家(郡衙)から国府へ国府から都へ税を納めました。下野国からは 34日以内に都に税を運ぶ決まりとなっていました。
古代の東山道は都を出発し、近江国(滋賀県)・美濃国(岐阜県南部)・飛騨国(岐阜県北部)・信濃国(長野県)・上野国(群馬県)・下野国(栃木県)などの国府と陸奥国(宮城)の多賀城を結んでいました。また、後には多賀城から北上盆地(岩手県)の鎮守府、さらに多賀城の手前で分岐し、出羽国府に向かう支路も整備されました。
これらの官道には、駅伝制により 30里(約 16 km)ごとに駅馬(はゆま) 10疋を備えた駅家(うまや)が置かれました。市内の北台遺跡(推定東山道跡)では、路面の両側に幅・深さとも約 1mの側溝を持つ約 10m幅の直線の道路が確認されています。
史跡・周辺情報
下野国庁跡
五輪塔(紫)
オトカ塚古墳
しもつけ風土記の丘資料館
国分寺
箕輪城跡
インフォメーションセンター オアシスポッポ館
下野薬師寺歴史館
薬師寺八幡宮
六角堂
道の駅しもつけ
上神主・茂原官衙遺跡
地蔵山
道鏡塚古墳
五輪塔(国分寺)
蛇骨塚
甲塚古墳
旧山中家住宅
鑑真和尚之碑
薬師寺(旧安国寺)
SHARE