古代出雲大社高層神殿
エリア:中国・四国
住所:島根県出雲市
出雲大社(いづもおおやしろ)は、『古事記』や『日本書紀』にその創建が語られる古社。明治時代初めまでは杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていた。 主祭神は「だいこく様」として馴染みの深い「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」で、縁結びの神・福の神としても知られている。
『古事記』に記される「国譲り神話」では、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲られる。そのときに造営された壮大な宮殿が出雲大社の始まりと言われている。
現在の本殿(国宝)は、延享元年(1744)に造営されたもので高さは約24mだが、平安時代には約48mあったと伝えられている。平安時代中頃の『口遊(くちずさみ)』には、「雲太(うんた)・和二(わに)・京三(きょうさん)」と記されており、これは当時の建物の高さベスト3を表現していると考えられている。「雲太」とは出雲大社本殿、「和二」は東大寺大仏殿、「京三」は平安京大極殿を示し、当時本殿が日本一の高さを誇る「高層神殿」であったことが伺える。 この説は古くから様々な研究がなされ、当時の技術ではその高さの木造建築は不可能ではないかとも言われてきた。しかし、2000年に現在の本殿の南側で鎌倉時代のものと推定される三本一組の巨大な柱根が発掘され、「高層神殿」の存在を示唆する発見となった。
古代出雲大社高層神殿復元CGの作成には、「福山敏男監修、大林組プロジェクトチームによる1989年公表の設計案」及び「同設計案に基づく復元模型」(縮尺1/10 出雲大社蔵 古代出雲歴史博物館展示)を参考にしている。
制作・著作:出雲市
協力:出雲大社、島根県立古代出雲歴史博物館
史跡・周辺情報
勢溜
寛文7年(1667年)の出雲大社の御造営の際、これまで松林であったところを切り開いて、にぎわいのため造った広場である。そこには、大きな芝居小屋が造られ、人々が大勢集まって楽しんだ。こうして、人の勢いが溜まるところということから「勢溜」と呼ぶようになった。
祓社
全国でも珍しい下り参道の右手にあり、神前に至る前にここを参拝し、心身の穢れを祓い清める。参拝作法は二礼四拍手一礼。
松の参道
祓橋を渡り三の鳥居をくぐると、日本の名松100選に選ばれている見事な松並木が続く。参道は中央と両側の三つに分けられ、中央は神様の通り道ということで、中央は避けて両端を歩いて参拝。
手水舎
参拝にあたり、まずここで手と口を清める。柄杓で水を汲み、左手、右手の順に清めたあと、左手に受けた水で口を濯ぐ。もう一度左手に水をかけ、最後は残った水で柄杓の柄を洗い清める。
銅鳥居
出雲大社の荒垣内、拝殿前の神域を示す銅の鳥居は、毛利輝元の孫・毛利綱広によって寛文6年(1666年)に寄進されたものである。銅製の鳥居としては、我が国で最も古いものと言われている。
拝殿
高さが12.9mあり、戦後最大の木造神社建築と言われている。普段はご祈祷などが行われている社殿。しめ縄が一般の神社と左右逆であるところも注目である。
八足門
御祭神に最も近づける門で、ここから御本殿を参拝する。この門は寛文7年(1667年)の御造営の際に建立され、門内部の鴨居部分上部の蟇股(かえるまた)などには、流水を基調とした中に紅葉や桜、鳥など花鳥風月の彫刻が散りばめられている。柱には木目の美しいケヤキ材を用いるなど、境内の中でも豊かな装飾を持つ門である。お正月5日間は開放され、門の中で参拝できる。
御本殿
縁結びの神・福の神として名高い出雲大社。主祭神は、だいこく様として馴染み深い大国主大神である。「古事記」に記される国譲り神話で、大国主大神が高天原の天照大神に国を譲った際に造営された壮大な宮殿が出雲大社の始まりとされている。大社造りの御本殿は、伊勢神宮の神明造りとともに神社建築の二大源流である。現在の御本殿は、延享元年(1744年)に御造営され、昭和27年(1952年)に国宝に指定された。御本殿の高さは、約24mあるが、平安時代には約48mあったと言われている。
神楽殿
昭和56年(1981年)に造営され、祭典、祈願、結婚式などが行われる。大広間は240畳敷の広さがあり、神社建築には珍しく正面破風の装飾にステンドグラスが使われている。正面には日本最大級の大注連縄(長さ13.6m、重さ5.2t)がある。
東十九社
瑞垣の外の本殿の左右に相対するお社で、それぞれ十九の扉がついている。このお社には、出雲大社の神在祭の期間、全国の神々がご宿泊され、その期間は全て扉が開かれる。
西十九社
瑞垣の外の本殿の左右に相対するお社で、それぞれ十九の扉がついている。このお社には、出雲大社の神在祭の期間、全国の神々がご宿泊され、その期間は全て扉が開かれる。
釜社
このお社には、宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)が祀られている。この神様は、食物を守られる神である。このあたりの北山山地を宇迦山(うがやま)と呼び、「宇迦」とは穀物を意味する古語と言われている。食物を神聖視する心の顕われである。
氏社(南)
本殿の西に東面して南北に並ぶお社で、二社ある。北側には天穂日命(あめのほひのみこと)、南側には国造出雲臣宮向(こくそういずもおみみやむき)を祀るお社である。天穂日命は国造家の祖、宮向は天穂日命17世の孫と言われ、初めて出雲姓を賜ったと伝えられている。
氏社(北)
本殿の西に東面して南北に並ぶお社で、二社ある。北側には天穂日命(あめのほひのみこと)、南側には国造出雲臣宮向(こくそういずもおみみやむき)を祀るお社である。天穂日命は国造家の祖、宮向は天穂日命17世の孫と言われ、初めて出雲姓を賜ったと伝えられている。
素鵞社
本殿の背後にあるお社で、地元の人は「素鵞さん」と親しみを込めて呼んでいる。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祀られている。この神様は、天照大御神の弟神様で、神話「八岐大蛇退治」(やまたのおろちたいじ)で有名な神様である。
命主社
祭神の神皇産霊神(かみむすびのかみ)は天地開闢の神で、大国主大神が八十神たちから迫害を受けられて、生死の境においでのときに何度も救われるなど、大神の国づくりの大事業をことごとく護られている。社前には、推定樹齢1,000年といわれるムクの巨木がある。
出雲井神社
祭神の岐神(くなどのかみ)は、大国主大神が国譲りをされるとき、大神の命により天照大御神の使者の案内役として諸国を巡られ、国内の平定に力を尽くされた神様である。道案内(交通安全)、道路を守られる神様として慕われている。
阿須伎神社
祭神の味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)は、大国主大神と多紀理比売命の御子神で農耕の神様である。「出雲国風土記」には、三九社の阿受伎社が記されているが、合祀されて今は一つになっている。
乙見社
祭神の下照比売命(したてるひめのみこと)は、大国主大神と多紀理比売命(たぎりひめのみこと)の御子神で、後に、高天原から国譲りの使者として天降られた天若日子(あめのわかひこ)のお妃となられた。
三歳社
祭神の事代主神(ことしろぬしかみ)と高比売命(たかひめのみこと)は大国主大神の御子神、御年神は素戔嗚尊の御孫神である。正月三日未明、このお社で行われる「福迎神事」では、参拝者は福紫をいただき、一年間の開運を祈る。
因佐神社
祭神の建御雷神(たけみかづちのかみ)は、天照大御神の命により天降られ、稲佐浜で大国主大神と国譲りの話し合いをされた神様である。武勇の神様として知られ、勝負・進学・受験の神様として広く知られている。
上宮
祭神は、素戔嗚尊と八百萬神(やおよろずのかみ)。毎年、旧暦十月、全国各地の神々が出雲に集まられ、このお社で神議(かみはかり)(会議)をされる。
下宮
祭神は、天照大御神である。大きな岩に包まれている趣のあるお社である。
大歳社
祭神の大歳神(おおとしのかみ)は、素戔嗚尊の御子神で、五穀を守護される神様である。
湊社
祭神の櫛八玉神(くしやたまのかみ)は、大国主大神が国譲りの後、出雲大社に静まられた際、膳夫(かしわで)となって大神に饗応された神様である。このことから、食物の神様として広く知られている。
旧大社駅
国の重要文化財に指定されている木造駅舎である。平成2年(1990年)に営業を終えたが、その存在感は健在である。
道の駅大社ご縁広場
令和元年(2019年)にリニューアルした地元のお土産や地酒を揃えた道の駅である。美味しい自家製麺の出雲蕎麦が食べられる「そば処吉兆」も併設。まち歩きに疲れたら、無料の足場でリフレッシュもできる。
大鳥居
神門通りの宇迦橋のたもとに高大にそびえ立つ大鳥居は、大正4年(1915年)北九州市の篤志家小林徳一郎氏により寄進されたものである。鉄筋コンクリート製で、出雲大社本殿より少し低い高さ23.5m、柱の周囲6m、額面は畳6畳敷もある。
一畑電車出雲大社前駅
昭和5年(1930年)2月開設。開設当時は「大社神門」と称したが、昭和45年(1970年)10月に現在の「出雲大社前」に改称している。平成8年(1996年)に国の登録有形文化財に指定された。教会を連想させる半円形の屋根とカラーグラスが特徴で、時間帯や天候によりカラーグラスを通った光が床に鮮やかな模様を描き出している。
出雲阿国の墓
歌舞伎の始祖とされる出雲阿国の自然石の墓である。今でも芸能関係者歌舞伎ファン等多くの参拝者がある。
於国塔
出雲阿国を顕彰して昭和11年(1936年)に当時の名優たちの寄付によって建てられた。
島根県立古代出雲歴史博物館
出雲大社のすぐ東隣にある博物館。国宝の銅剣・銅鐸・銅矛419点を一堂に展示するほか、約5mの高さがある出雲大社の高層神殿模型など見どころ満載である。
北島國造館
出雲大社に向かって右手、神域内で最古の建造物四脚門をくぐると北島國造館がある。出雲國造北島家は大国主大神に神勤奉仕なさった天穂日命の子孫であり、出雲教を通して大神様の御神徳を広く世に広めることを勤めとされている。
真名井の清水
遠い昔から絶えることなく湧き出ており、「島根の名水百選」に選ばれている。出雲大社の神事に関わる神聖な水として、11月23日に催される古伝新嘗祭の祭事の中で、国造の寿命を延ばす「歯固めの神事」には、この井戸の小石を用いる習わしにとなっている。
日御碕神社
素盞嗚尊を祀る「神の宮」と天照大御神を祀る「日沉宮」(ひしずみのみや)からなり、両本社を総称して「日御碕神社」と呼ぶ。日の本の昼を守る伊勢神宮に対し、日の本の夜を守るようにという神勅により祀ったのが「日沉宮」の始まりと言われている。緑の松林の中に佇む朱の社殿は、まるで竜宮城のような美しさである。
経島
お経の巻物を積み重ねたように見えることから名付けられたとされる島である。ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されている。