
大分府内城

エリア:九州・沖縄
住所:〒870-0046 大分県大分市荷揚町73-75
大分市荷揚町に所在する「府内城」(荷揚城)は、府内藩主の居館および武家屋敷により構成された、近世城郭の特徴を色濃く残す城です。大分川と住吉川に挟まれ、かつて海辺に面した府内城は、白土の塀と、まるで水上に浮かぶその姿から、「白雉城」とも呼ばれています。
府内城は、福原直高により築城が行われ、その後竹中重利により現在の府内城の形が出来ました。福原直高は、慶長4年(1599)に府内城の本丸、二の丸、三の丸まで造っていました。また、天守は入城できましたが、完成していなかったと思われます。やがて、慶長6年(1601)に府内に入った竹中重利は、府内城の修増築と城下町の建設を始めます。防備を固めるため、石垣を築いたほか、天守、櫓、武家屋敷が、慶長7年(1602)に完成します。
府内城は、大きく3つの郭と三重の堀からなっていました。明治末頃、三の丸外側と二の丸内側の堀は埋め立てられ、現在では、二の丸と三の丸を区切る堀が残っています。かつては、四重層の天守を持ち、23の櫓と5つの門、3箇所の廊下橋が築かれていましたが、戦災などにより失われてしましました。
