
盛岡城

エリア:北海道・東北
住所:〒020-0023 岩手県盛岡市内丸
盛岡城は、三戸から不来方の地に居城の移転を決定した南部信直が、慶長2年(1597)に築城を始めたと伝えられています。
城の縄張りは豊臣家重臣の浅野長政の助言によるものといわれ、北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵上に本丸・二ノ丸・三ノ丸・淡路丸など曲輪に雄大な石垣を構築して内曲輪=御城内としています。
さらに、内曲輪の北側は起伏の激しかった現在の内丸地域を平坦にして堀と土塁で囲み、南部氏一族や藩の重臣たちの屋敷を配置して外曲輪としました。また、外曲輪の北側と東側の中津川対岸の城下も堀と土塁で囲み、武士や町人たちの屋敷街である遠曲輪=総構が配置されています。
築城工事は、北上川や中津川の洪水にみまわれながらも続けられ、築城開始から36年後、おおよその完成をみた寛永10年(1633)に南部重直が入城して以降、藩政時代を通じて盛岡南部氏の居城となりました。
