安土城

イメージ:安土城

所在地
近江八幡市安土町

安土城は、織田信長の天下布武の拠点として、天正4年(1576)から3年の歳月をかけ、安土山(標高198.9m)という琵琶湖の内湖に突き出たひょうたん形の低い丘陵全体に築かれました。現在、戦後の干拓により安土山周囲の内湖は埋立られていますが、当時は内湖や堀に囲まれ、陸と接する部分はごくわずかで、安土山はあたかも琵琶湖に浮かぶ船のような自然の要害といえます。また、安土山は内湖を通じて琵琶湖の湖上交通を利用でき、美濃や北国、伊勢などを結ぶ街道がすぐそばを通る水陸交通の要所でもあることから、この場所が選ばれたと考えられています。
山麓から延びる直線的な大手道の両側には家臣団の屋敷地が広がり、山頂の主郭部には、天主、本丸、二の丸、三の丸などの御殿が立ち並ぶ壮麗な城が造営されました。
『信長公記』などの文献資料には、五層七重で、金箔瓦で屋根が葺かれ、内部が狩野永徳によって描かれた様々な障壁画で飾られた絢爛豪華な天主の姿が記録されています。
しかし、天正10年(1582)6月2日信長が本能寺において明智光秀に討たれた10日あまり後、原因不明の火災により山頂にある天主などの主郭部の建物は焼失しました。また、火災から免れた山麓の建物も天正13年(1585)の八幡山城の築城に伴い解体移築されたと伝えられています。
現在、安土城の往事を偲ぶ建物は摠見寺三重塔と二王門しか残っていませんが、重厚な石垣と建物の礎石から往時の姿を伺うことができます。
国特別史跡。

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